瑠璃色の海と森に抱かれるアマネム

Amanemu

ホテルジャーナリスト せきねきょうこ

瑠璃色の海と森に抱かれるアマネム

アマネムは英虞湾に突き出た大崎半島の台地に密やかに佇んでいます。この伊勢志摩の地域は1400年も前、飛鳥・奈良時代に皇室や朝廷に豊かな海産物を中心に御食料を献上し、‘御食つ国’(みけつくに)として知られてきた歴史があります。万葉の時代から美食の国であったこの地域の海は、世界に誇る真珠の故郷でもあるのです。稀に見る豊かな土壌と自然美を受け継ぎ、アマネムは天命として森の再生や環境修復にも取り組んでいます。

Amanemu, Japan - Resort Amanemu_Japan_Portrait

アマネム誕生と‘リフォレスト’

アマネムの舞台である大崎半島は海から30~40メートルの高台で、密な木々に覆われた原始の森です。アマネムプロジェクトは環境チームのリフォレスト計画とともにスタートしました。アマンの創始者は常々このように説いていました。「開発には優れた既存の木を一本たりとて切ってはならない」と。この信念はアマネムの森にも貫かれました。建築家のケリー・ヒルと共に、前身‘合歓の郷’時代から残る大樹は可能な限り避けて開発、さらに保全も試みました。アマネムのアイコンの木として選ばれたのは伊勢志摩地方に特化せず、日本を代表するモミジとサクラでした。それとは別に目立つ場所に移植され、堂々とオーラを放つ幾本かのヤマモモの木に目を奪われた方も多いと思います。「アマネムの森は今、こうして海風にも負けない樹木を選び、移植、植樹、保全され、10年後、50年後に成熟期を迎えるでしょう。いずれこの地に見合う理想の森へと成長してくれれば…」と、アマンは、このアマネムの森が、未来に継ぐ森になることを願っています。

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緑の合間に意味のある「庭」造り

アマネムの敷地には大小幾つもの意味のある庭が造られています。アマネム到着時にまず車を降りるアライバル・パビリオンにも海側に開放感のある庭が造られ、その一画にもヤマモモの木が移植されています。樹齢50年を超える‘大径木’の移植は容易ではないと言います。そこでアマネムでは、日本に2台しかないという超大型重機を使い「重機移植工法」をとりました。この工法では根鉢(根と根の周囲の土)を大きく取れ、元の土壌や下草などの植生も活かせること、何よりも木を横に寝かさずに運べるなどで枝の傷みも少ないのです。

ところで、アライバル・パビリオンの庭は、昔から日本人と密接な関わりのあるススキ草原をイメージし、手前に芝生の野原、続いてススキの原野、その奥のウバメガシ樹林を通して英虞湾を見晴らすという遠近感のある庭です。そして庭の中央には‘道ならぬ道’が造られました。歩石がジグザグに置かれているのは、ただ‘通り過ぎるだけの’道ではなく、庭と‘関わり合う道’でありたいと願ったからといいます。環境デザインチームから素直な想いが聴けました。

「たとえばススキの穂が出始めた頃、麦わら帽子をかぶった7,8歳の少年(もしかしたら私自分かもしれない)がトンボを追って走る風景が、この庭を見る人の脳裏に浮かぶのを願っています」と。また2020年4月、アマネムには最大規模のヴィラ「ツキヴィラ」がオープン。敷地面積 1842㎡、どのヴィラよりも広いプライベートガーデンが造られ、ガーデンダイニングも可能。子どもたちが遊ぶにも、この開けた庭の存在感が魅力のひとつになりました。

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アマネムの森と数々のストーリー

アマンは1988年の創業以来、‘自然を守る’という強い使命を持ち続けています。「開発という名の下に自然を壊してはならない」という創設者の哲学が活かされ、地域に根差した文化や伝統を敬い、地域を活性化することがアマンの基本でした。アマネムのオーナーはそれに賛同し、 そこに‘リフォレスト(植林)’というコンセプトが掲げられていたのです。オーナーの開発コンセプトは「日本の原点」、ケリー・ヒルのデザインコンセプトは「日本らしさを現代にアレンジする」。

こうして一流のランドスケープデザイナーや建築施工業者などのプロフェッショナルにより、自然環境と調和し、世界に通用する真のラグジュアリーが誕生しました。たとえば、各ヴィラを包む屋根の三州瓦はマットな黒色ですが陽光によってはいぶし銀に輝いて見えます。その大屋根と外壁との対比は2:1。実に洗練された絶妙なバランスがアマネムのヴィラ外観の‘顔’となり、緑の合間に見え隠れする大屋根の美しさはまさに技術の結集、日本が誇る匠の技なのです。